★今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、万の事に使
ひけり。名をばさぬきのみやつことなん言ひける。 『竹取物語』作者・未詳
★男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり。それの年の、しはすの、
二十日あまり一日の日の、戌のときに門出す。そのよしいささかにものに書きつく。
★昔、男初冠して、平城の京春日の里に、しるよしして、狩にいにけり。その里に、
いとなまめいたる女はらから住みけり。この男かいまみてけり。
★かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経
る人ありけり。
★春は、曙。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこし明りて、紫だちたる雲の細くたな
びきたる。
★ゆめよりもはかなき世の中をなげきわびつつあかしくらすほどに、四月十よひにも
なりぬれば、木のしたくらがりもてゆく。
★いづれのおほん時にか、女御更衣あまた侍ひ給ひけるなかに、いとやむごとなきき
はにはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。
★秋のけはひ入り立つままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。
★あづまぢの道のはてよりも、なほ奥つかたに生ひ出でたる人、いかばかりかはあや
しかりけむを、いかに思ひはじめける事にか、世の中に物語といふ物のあんなるを、
いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間・宵居などに、姉・まま母などやうの
人々の、その物語・かの物語・光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、
いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。
★行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかた
は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
★祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあら
はす。おごれる人も久しからず。唯春の夜の夢のごとし。
★つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごと
を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
★月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口
とらへて老をむかふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
★千早振る神無月ももはや跡二日の余波となッた二十八日の午後三時頃に、神田見附
の内より、塗渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出でて来るのは、孰れも顋
を気にし給う方々。
★石炭をばはや積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静かにて、熾熱燈の光の晴れ
がましきも徒なり。
★高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に罪人が遠島を申し渡され
ると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞いをすることを許された。
★越後の春日を経て今津へ出る道を、珍しい旅人の一群が歩いている。
★木目美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて話し敵も
なく唯1人、…
★廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝(ドブ)に灯火うつる三階の騒ぎ
も手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらないて……。
★おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いではないか、又
素通りで二葉やへ行く気だらう、
★未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠めて、真直ぐに長く東より西に横はれる大道
は掃きたるやうに物の影を留めず、いと寂しく往来の絶えたるに、例ならず繁き車輪
の輾は、あるいは忙かりし、
★「武蔵野の俤は今わずかに入間郡の残れり」と自分は文政年間に出来た地図で見た
事がある。
★「参謀本部編纂の地図をまた繰り開いて見るでもなかろう、と思ったけれども、あ
まりの道じゃから、手を触るさえ暑くるしい、旅の法衣の袖をかかげて、表紙を附け
た折り本になっているのを引っ張り出した。
★吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄
暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
★親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校にいる時分学校の二階か
ら飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事はある。
★山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意
地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
★私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は
打ち明けない。これは世間をはばかる遠慮というよりも、そのほうが私にとって自然
だからである。
★蓮華寺は下宿を兼ねた。瀬川丑松が急に転宿を思い立って、借りることにした部屋
というのは、その蔵裏(クリ)つづきにある二階の角のところ。
★木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あると
ころは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り
口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
★後の月という時分が来ると、どうも思わずにはいられない。幼い訳とは思うが何分
にも忘れることができない。
★小石川の切支丹坂から極楽水に出る道のだらだら坂を下りようとしてかれは考え
た。「これで自分と彼女との関係は一段落を告げた。……」
★四里の道は長かった。その間に青縞の市の立つ羽生の町があった。田圃にはげんげ
が咲き豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた。赤い蹴出を出した田舎の姐さんがおり
おり通った。
★或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。広い門
の下にはこの男の外に誰もいない。唯、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一
匹とまっている。
★それはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋
み合わない時分であった。
★私は此から、あまり世間に類例がないだろうと思はれる私達夫婦の間柄に就いて、
出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いてみようと思ひます。
★「こいさん、頼むわ。―」鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見る
と、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長
襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据えながら……。
★ 山の手線に跳ね飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ
出掛けた。
★ 私が自分の祖父のある事を知ったのは、私の母が産後の病気で死に、その後二月
程経って不意に祖父が私の前に現れてきた、その時であった。私の六歳の時であっ
た。
★野島がはじめて杉子に会ったのは帝劇の二階の正面の廊下だった。野島は脚本家を
もって私かに任じてはいたが、芝居を見る事は稀だった。
★私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。ねじ曲ろうとする自分の心を
ひっぱたいて、出来るだけ伸び伸びした真直な明るい世界に出て、そこに自分の芸術
の宮殿を築き上げようと藻掻いていた。
★えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪
と云おうか― 酒を飲んだあとに宿酔(フツカヨイ)があるように、酒を毎日飲んで
いると宿酔に相当した時期がやって来る。
★道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を
白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。
★国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車
が止まった。向こう側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。
★山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのである
が、頭が出口につかへて外へ出ることができなかつたのである。
★この数年来、小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じて来た。数年
来でなくて、今後とも云い知れぬ負担を感じなければならないような気持であった。
★朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ」と幽かな叫び声をお
あげになった。「髪の毛?」スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と
思った。
★私は、その男の写真を三葉、見たことがある、一葉は、その男の、幼児時代、とで
も言うべきであろうか、…
★永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。
それを言い出すたびに大人たちは笑い、しまいには自分がからかわれているのかと
思って、この蒼ざめた子供らしくない子供の顔を、かるい憎しみの色さした目つきで
眺めた。
★幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。私の生まれたのは、舞鶴から東北
の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。父の故郷はそこではなく、舞鶴東郊の
志楽である。懇望されて、僧籍に入り、辺鄙な岬の寺の住職になり、その地で妻をも
らって、私という子を設けた。
★八月のある日、男が一人、行方不明になった。休暇を利用して、汽車で半日ばかり
海岸に出掛けたきり、消息をたってしまったのだ。捜索願も、新聞広告も、すべて無
駄におわった。
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